彩りだけでは足りない「華」
ブーゲンビリアが咲き乱れる景色を見ると、いつも少し不思議な気持ちになります。
あれほど鮮やかな色をしているのに、ただ明るいだけではない。
南国の強い日差しを浴びて、白い壁や石畳の上に濃い影を落としながら咲いている。
その花は、まるで光だけでは美しくなれないことを知っているようです。
華やかさとは、明るさのことだと思われがちです。
人目を引く色。
甘やかな香り。
よく通る声。
その場をぱっと明るくする存在感。
けれど、本当に印象に残る華やかさには、必ずどこかに影があります。
影というのは、暗さや不幸のことではありません。
おそらく、奥行きのことです。
すべてを見せないこと。
すぐに説明しきらないこと。
笑っていても、その人の中に静かな時間が流れていること。
明るい色の奥に、少しだけ湿度や沈黙があること。
香りも、同じです。
ただ甘いだけの香りは、最初の一瞬は華やかでも、やがて平たく感じられてしまいます。
花だけでできた香り。
果実だけでできた香り。
明るく、わかりやすく、愛されやすい香り。
もちろん、それも美しい。
けれど、記憶に長く残る香りには、どこかに影があります。
たとえば、花の奥にほんの少しの土っぽさがある。
甘さの下に、乾いた木の気配がある。
清潔感の向こうに、肌の温度を感じる。
明るいトップノートが消えたあとに、静かな苦みや煙のような余韻が残る。
その影があるから、香りは「きれい」だけで終わらない。
その人の印象に、深さが生まれるのです。
華やかな人にも、同じことが言えます。
ただ目立つ人と、忘れられない人は違います。
ただ美しい人と、また会いたくなる人も違います。
ただ場を明るくする人と、去ったあとに空気を変えてしまう人も違います。
忘れられない人には、どこかに陰影があるのです。
それは、過剰に語らない知性かもしれない。
簡単には踏み込ませない品位かもしれない。
明るく振る舞いながら、自分の孤独を他人に預けない強さかもしれない。
人は、すべてが見えるものには、あまり長く惹かれません。
少し見えないものがあるから、想像する。
輪郭の奥に何かがあるから、もう一度思い出す。
ブーゲンビリアの鮮やかさが美しいのは、光の中に咲いているからだけではないのでしょう。
強い日差しの下に、濃い影があるから。
白い壁に映る花の色が、影によってさらに深く見えるから。
その明るさの中に、どこか帰り道の寂しさまで混ざっているから。
華やかさには、影がいる。
香りにも、人にも、人生にも。
明るさだけでは、記憶には残らない。
少しの苦み。
少しの沈黙。
少しの見えなさ。
そして、簡単には言葉にできない余韻。
その影を持っているものだけが、
本当の意味で、華やかに残るのだと思うのです。
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