あの味を覚えているのは、舌ではないかもしれない
鼻をつまんで、何かを食べてみる。
甘い。少し酸っぱい。塩気がある。
そこまでは分かるのに、「何を食べているのか」が急に曖昧になる。
鼻から手を離した瞬間、いちごならいちごが、コーヒーならコーヒーが、ふっと口の中へ戻ってくる。
私たちはこれを、よく「味がしなくなった」と言います。
けれど、舌はちゃんと働いています。
消えていたのは、味そのものではありません。
食べ物を、その食べ物らしくしていたものです。
そしてそのかなりの部分を、鼻が受け取っています。
食べているあいだ、人はずっと嗅いでいるのです。
舌が受け取っているもの
舌には味蕾と呼ばれる感覚器があり、食べ物に含まれる化学物質を検出しています。
人間の基本味として一般に知られているのは、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味です。
糖がある。塩類がある。酸性である。苦味物質を含んでいる。アミノ酸がある。
舌は、食べ物についてのこうした基本的な情報を受け取っています。
けれど、それだけで「これは桃だ」「これはコーヒーだ」と分かるわけではありません。
たとえばコーヒー。
苦味の一部は舌が感じています。でも、焙煎した豆の香ばしさ、チョコレートのようなニュアンス、花や果実を思わせる香りまで、舌が識別しているわけではない。
そこには嗅覚が大きく関わっています。
食事にはさらに、食感や温度があります。脂肪のなめらかさ、炭酸の刺激もある。唐辛子の熱さや、わさびの鼻に抜ける刺激は、味覚とは別に三叉神経系が担っています。
普段、私たちはそれらを分けません。
一つにまとまった経験を、「味」と呼んでいます。
食品科学では、こうした統合された感覚をフレーバー、つまり風味として捉えます。
「味のほとんどは鼻でできている」という言い方は、科学的には少し乱暴です。何割が味覚で、何割が嗅覚なのかを、きれいな数字で分けることはできません。
ただ、料理がその料理らしく感じられるために、嗅覚が非常に大きな役割を持っていることは確かです。
匂いは、口の奥から鼻へ入る
鼻で食べ物を感じる、と聞くと、料理の匂いを鼻先で嗅ぐ場面を思い浮かべます。
コーヒーの湯気。焼きたてのパン。鍋の蓋を開けたときの匂い。
これは、外から鼻に入ってきた香気成分を感じる嗅覚です。オルソネーザル嗅覚と呼ばれます。
けれど、食べ始めると別の経路が働きます。
食べ物を噛む。温まる。唾液と混ざる。細胞が壊れる。すると、食べ物に含まれていた揮発性の成分が放出されます。
その成分は口の奥から喉を通り、鼻腔へ上がっていきます。
鼻の穴から入ってくるのではなく、裏側から鼻へ届く。
これがレトロネーザル嗅覚、後鼻腔嗅覚です。
食べ物を口に入れ、鼻をつまんだまま噛んでみる。しばらくしてから指を離すと、急に食べ物の存在感が戻ってくることがあります。
口の中には、最初から同じものが入っています。
変わったのは、鼻へ空気が通るようになったことだけです。
鼻で感じているのに、なぜ「味」なのか
不思議なのは、私たちがレトロネーザルな香りを、あまり「匂い」として意識していないことです。
桃を食べながら、「いま桃の香気成分が鼻に届いた」とは思わない。
ただ、「桃の味がする」と感じます。
同じ匂い物質でも、鼻の前から嗅いだ場合と、口の奥から鼻へ抜けてきた場合では、脳の反応に違いがあることがfMRI研究から分かっています。
外から入ってきた匂いは、比較的「外にあるもの」として感じられやすい。
一方で、口側から鼻へ入ってきた匂いは、口の中にある食べ物の性質として知覚されやすい。
鼻で受け取った情報なのに、私たちはそれを口の中で起きていることだと思っています。
脳にとっては、「これは嗅覚、これは味覚」と感覚の出所を整理することより、今口に入っているものが何なのかを知ることの方が重要なのでしょう。
味覚、嗅覚、食感、温度。
それぞれ違う経路から届いた情報が、一つの食べ物としてまとめられていく。
感覚の出所は消され、経験だけが残る。
桃を食べれば、それはただ「桃の味」になります。
香りだけで、脳に「甘さ」が現れる
この統合は、思っているより深いところで起きているようです。
2025年に発表された研究では、味とレトロネーザルな香りが、脳の中でどのように結びついているのかが調べられました。
被験者は、ある香りを甘味と、別の香りを塩味やうま味を伴うような味と組み合わせて経験します。
その後、味だけ、あるいは香りだけを与えながら脳活動を調べると、味覚処理に関係する島皮質の一部で、香りだけを提示したときにも、その香りと結びついて学習した「味」に似た活動パターンが見つかりました。
舌に砂糖が触れていなくても、甘味と結びついた香りによって、脳の中には甘さに近い表現が現れる。
「甘い香り」という言葉を、私たちは何気なく使います。
バニラは分かりやすい例でしょう。
バニラそのものが砂糖のように甘いわけではありません。それでも、多くの人がバニラの香りを甘いと感じる。
幼いころから、アイスクリームや菓子、クリームと一緒に経験してきた香りだからでしょう。
何度も同時に経験した味と香りを、脳は結びつけていく。
人は一生のあいだに、途方もない回数の食事をします。
そのたびに、舌と鼻は同じ食べ物についての情報を同時に送り続けている。
食事は、毎日繰り返される巨大な感覚学習でもあります。
鼻をつまむと、料理の輪郭がなくなる
こうして考えると、鼻をつまんだときに起こることが少し見えてきます。
甘味や塩味が消えたわけではありません。
食感も残っています。
でも、「これは何だ」という判断材料が大きく抜け落ちます。
料理の色が消える、と言いたくなるところですが、むしろ輪郭に近いのかもしれません。
甘い。少し酸っぱい。柔らかい。
それぞれの感覚はある。
なのに、それが一つの食べ物として立ち上がってこない。
鼻から手を離すと突然、桃になり、りんごになり、コーヒーになる。
風邪で鼻がひどく詰まったときに「何を食べても味がしない」と感じるのも、少なくとも一部は同じ理由です。
私たちは、鼻の働きを失って初めて、鼻がずっと食卓にいたことに気づきます。
「懐かしい味」は、何を覚えているのだろう
ここまで来ると、少し別のことが気になります。
私たちは昔の食べ物について、「あの味を覚えている」と言います。
母親がつくったカレー。祖母の煮物。夏休みに食べたスイカ。学校帰りに買ったパン。
でも、その記憶は本当に舌だけのものでしょうか。
カレーなら、甘味や塩味だけでは、とても「あの味」にはなりません。
炒めた玉ねぎの匂い。油の中で温められたスパイス。炊きたての米。鍋から立つ湯気。
スイカなら、果糖の甘さだけではない。歯を入れたときのシャキっくる歯触り、その瞬間に果肉から放たれ、口の奥から鼻へ抜けていった瓜の香りがあります。
そうしたものを全部まとめて、私たちは「あの味」として覚えているのでしょう。
嗅覚は、記憶との結びつき方にも少し特徴があります。
匂いをきっかけに呼び起こされた自伝的な記憶は、言葉や視覚から呼び出された記憶に比べて、感情を強く伴ったり、「その場に戻った」ような感覚を起こしやすいことが知られています。
ある匂いを嗅いだ瞬間、出来事の内容より先に、部屋の空気が戻ってくる。
季節や時間帯、そこにいた人の気配まで一緒に。
いわゆるプルースト現象です。
そう考えると、昔の料理を完全に再現することが難しい理由も、少し違って見えます。
同じ材料を揃え、同じレシピでつくっても、「あの味」にならないことがある。
材料が違うのかもしれない。調理器具も、自分の身体も変わっています。
でも、それだけではないのかもしれません。
私たちが「あの味」と呼んでいるものの中には、その料理を食べていた部屋や、時間や、一緒にいた人まで入っている。
だとしたら、完全に同じ味には戻れなくて当然です。
食べながら、私たちは嗅いでいた
学校では、五感を別々に習います。
目は視覚、耳は聴覚、鼻は嗅覚、舌は味覚。
身体を理解するには、その方が分かりやすい。
けれど、私たちが実際に生きている感覚の世界は、それほどきれいには分かれていません。
食べ物を噛めば香りが出る。
その香りは、口の奥から鼻へ上がる。
舌から来た味覚と混ざり、食感や温度まで加わって、一つの「味」になる。
そして、それを何年も繰り返しているうちに、味と匂いは記憶の中でも分けられなくなっていく。
昔食べた料理を懐かしく思い出すとき。
舌が記憶していると思っていたものの中には、ずっと鼻がいたのかもしれません。
私たちは食べながら嗅ぎ、嗅ぎながら覚えていた。
そう思って昔好きだった料理を一つ思い浮かべると、味より先に、匂いが戻ってくるものがある気がします。
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