夜をほどき、今日をまとう
朝、目は覚めていても、身体はまだ一日の中に入りきっていないことがあります。
ベッドを出て、カーテンを開ける。
湯を沸かしながら、通知を見る。
頭はすでに今日の予定を追い始めているのに、手足にはまだ眠りの重さが残っている。
現代の朝は、身体よりも先に情報が動き出します。
かつて一日の始まりには、もう少し長い準備が置かれていました。
水で手や顔を洗う。
身体に油を塗る。
髪を整え、衣服を替える。
祈りや仕事に入る前に、姿勢を正す。
それらは、汚れを落とすためだけの行為ではありませんでした。
眠りの中にいた身体を、今日という時間の中へ戻す。
私的な身体を、人や神の前に出られる身体へ整える。
朝の清めとは、そのための小さな移行の作法だったのかもしれません。
夜明けに、香を家へ巡らせる
ゾロアスター教では、清浄を保つことが、個人の衛生にとどまらない重要な宗教的行為として位置づけられてきました。
ゾロアスター教の聖典群の一つ『ウェンディダード』には、夜、炉の火が家の主人に対して、起きて衣服をまとい、手を洗い、薪を持ってくるよう促す場面があります。
神聖な火へ触れる前に、手を洗う。
一日の仕事に入る前に、まず自分の状態を整える。
さらに、後世のゾロアスター教徒の慣習として、夜明けに香をのせた炭火の鉢を家の中へ運び、「夜の汚れ」を払うことがあったと伝えられています。悪臭は汚れと結びつけられ、それに対抗するものとして香が焚かれました。[1] (Iranica Online)
ここでは、水だけでなく、香りもまた朝の境界に置かれています。
夜の空気が残る部屋に香を巡らせることは、単に室内をよい匂いにするためではありません。
家の中に朝を迎え入れる。
夜に属していた空間を、人が再び暮らせる場所へ戻す。
香りは、目に見えないまま、時間の切り替わりを知らせていたのです。
眠りから戻った手を洗う
ユダヤ教にも、起床後に手を洗う習慣があります。
すべてのユダヤ教徒が同じ形で行うわけではありませんが、朝、祈りに入る前にネティラット・ヤダイムと呼ばれる手洗いを行う慣習が伝えられてきました。
その理由については、いくつかの解釈があります。
眠りは死に似た状態であり、目覚めた身体には一種の不浄が残るとする考え。
祈りの中で神の名を唱える前に、手を清める必要があるとする考え。
枕元に水差しと鉢を置き、ベッドを離れる前に左右の手へ水を注ぐ人もいます。[2] (My Jewish Learning)
手は、一日の最初に世界へ触れる場所です。
顔を洗い、衣服を選び、扉を開ける。食事をつくり、道具を持ち、人に触れる。
目が覚めただけでは、まだ手は今日のものになっていない。
だから、まず水を通す。
そう考えると、朝の手洗いは単なる衛生習慣とは少し違って見えてきます。
昨日と今日のあいだに、ひとつの境界をつくる所作です。
水に触れて、次の時間へ入る
イスラム教では、礼拝の前にウドゥーと呼ばれる清めを行います。
『クルアーン』第5章6節には、礼拝に立つとき、顔と腕を洗い、頭をぬぐい、足を清めることが記されています。ウドゥーは朝だけの習慣ではありませんが、夜明けの礼拝を含む日々の祈りへ入る前に、身体を礼拝に適した状態へ整えるものです。[3] (Quran.com)
ただし、一度行ったウドゥーは、清浄な状態が失われない限り、次の礼拝にも有効とされます。
重要なのは、祈りのたびに必ず全身を洗い直すことではありません。
これから祈りに入れる状態にあるかを確かめる。
そのために水を用いるのです。
日本の神社でも、参拝の前に手と口を水で清めます。
鳥居は日常の世界と神聖な空間との境を示し、その先にある手水舎では、神前へ進む前に手と口をすすぎます。こちらも朝に限った所作ではありませんが、ある時間や空間へ入る前に水を通すという点では、同じ構造を持っています。[4] (神社本庁)
もちろん、これらの習慣は同じ起源から生まれたものではありません。
信仰も、清浄の意味も、歴史も異なります。安易に一つの文化へまとめてしまうべきではないでしょう。
それでも、離れた土地でよく似た構造が繰り返し現れます。
次の時間へ入る前に、一度水に触れる。
何かを始める前に、身体の状態を切り替える。
水は、汚れを落とすものというだけでなく、境界を越えるためのものでもありました。
人類学者メアリー・ダグラスは、清浄と汚れの観念を、衛生の問題だけでは理解できないと論じました。
何を清いとし、何を汚れとするかは、その社会が世界をどのように分類し、秩序づけているかと深く結びついています。[5] (Routledge)
朝の清めもまた、身体の表面を洗うだけではありません。
夜と昼。眠りと覚醒。
私的な時間と、他者のいる時間。
曖昧になっていた境界を、もう一度引き直す行為だったのでしょう。
油で、身体の輪郭を戻す
水が前の状態を流すものだとすれば、油は身体をもう一度満たすものです。
アーユルヴェーダには、ディナチャリヤと呼ばれる一日の生活規範があります。
古典をもとに整理された日課には、早朝に起きること、口や目、鼻を整えること、身体に油を塗ってマッサージするアビヤンガ、運動、粉を用いた身体の手入れ、入浴などが、一連の朝の所作として記されています。
それらを終えた後に、仕事や社会的な活動へ入るという順序です。[6] (Charak Samhita)
ここでは、朝は目覚まし時計が鳴った瞬間には始まりません。
口を整え、感覚器官を整え、皮膚に触れ、身体を動かし、水を通す。
いくつもの段階を経て、ようやく外の世界へ向かいます。
現代の感覚では、入浴は何かを取り除く行為として捉えられがちです。
汗を流す。皮脂を落とす。眠気を払う。
けれど、油を塗る所作には、落とすだけでは朝は始まらないという感覚があります。
眠りのあいだ、身体は外の世界との接触を減らしています。
布に包まれ、目を閉じ、言葉を止める。
朝になれば、そこから再び外界へ開いていかなければなりません。
油を手のひらに取り、皮膚へ広げる。
腕や脚の形を、自分の手でたどり直す。
それは、身体の輪郭を確認する行為にも見えます。
私はここにいる。
この身体で、今日を始める。
水が夜を終わらせるならば、油は一日を生きる器を整えるのです。
香りは、朝の所作のそばにあった
古代インドの文献を調べた研究では、香りのある油を用いた身体のマッサージ、香粉による身体の手入れ、芳香性の素材を含む口中の清めなど、香りが宗教儀礼、美容、健康管理、日常生活のさまざまな場面に組み込まれていたことが紹介されています。[7] (PMC)
香りは、必ずしも現代の香水のように、身支度の最後に吹きかけるものではありませんでした。
油に含まれ、煙として立ち上り、口や髪、衣服や室内を整えるものとして、身体と生活のあいだに息づいていました。
香りは目に見えません。
けれど、まとった瞬間に、その場の空気と身体との関係を変えます。
眠っていた部屋の匂いから離れ、今日の自分の匂いを選ぶ。
まだ誰にも会っていない朝に、先に自分自身へ名乗る。
香りは、人によい印象を与えるためだけのものではありません。
外へ出ていく身体が、どのような状態で一日を始めるのかを、自分自身へ知らせるものでもあります。
そう考えると、香りは一日の最後に付け足す装飾ではなく、最初にまとう見えない衣服だったのかもしれません。
身体が今日に追いつくまで
私たちは、古い清めの作法をそのまま再現する必要はありません。
冷たい川に入らなくてもいい。時間をかけて全身へ油を塗らなくてもいい。信仰の異なる儀礼を、形だけ借りる必要もないでしょう。
ただ、その所作の中に残っている知恵は受け取れます。
一日は、時計が朝を示した瞬間に始まるのではない。
身体が今日の中へ入ったときに、ようやく始まる。
手を洗う。
顔に水を通す。
オイルやクリームを、急がず肌になじませる。
香りを一滴だけ選ぶ。
それだけで、朝は単なる起動時間ではなくなります。
水で夜を終え、手のひらで身体を確かめ、香りとともに外の世界へ向かう。
立ち上がりの一滴とは、気分を無理に高めるための刺激ではありません。
まだ昨日の続きを生きている身体に、
今日はこちらです、と静かに知らせるためのものなのです。
参考文献・資料
[1]Mary Boyce, “Cleansing i. In Zoroastrianism,” Encyclopaedia Iranica, Vol. V, Fasc. 7, 1992.
ゾロアスター教における清浄観、火に触れる前の手洗い、夜明けに香を焚いた炭火を家の中へ運ぶ慣習について参照。
[2]“Three Jewish Blessings to Start Your Day,” My Jewish Learning.
起床後のネティラット・ヤダイム、枕元に水差しと鉢を置く慣習、その宗教的解釈について参照。
[3]『クルアーン』第5章6節。
Ismail K. Poonawala, “Ablution, Islamic,” Encyclopaedia Iranica, Vol. I, Fasc. 2–3, 1982.
礼拝前のウドゥー、その手順と清浄な状態の持続について参照。
[4]神社本庁 “Entering a Jinja.”
鳥居が示す日常世界と神聖な空間との境界、参拝前の手水について参照。
[5]Mary Douglas, Purity and Danger: An Analysis of Concepts of Pollution and Taboo, Routledge & Kegan Paul, 1966.
清浄・汚れと、社会的な分類や秩序との関係について参照。
[6]Anagha S. and Yogesh S. Deole, “Daily Regimen for Preservation of Health: Dinacharya,” Charak Samhita Research, Training and Development Centre, 2021.
また、Nair S.S.R. and Yogesh S. Deole, “Matrashiteeya Adhyaya,” Charak Samhita Online, 2020.
アーユルヴェーダにおける朝の日課、アビヤンガ、運動、入浴などの順序について参照。
[7]Goli Penchala Prasad, G. Penchala Pratap, M. Neelima and Pammi Satyanarayanashastry, “Historical Perspective on the Usage of Perfumes and Scented Articles in Ancient Indian Literatures,” Ancient Science of Life, Vol. 28, No. 2, 2008, pp. 33–39.
古代インド文献に見られる香油、香粉、芳香性素材を用いた身体と口中の手入れについて参照。
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