香りの教養

授けられた香りを纏う

宮廷では、装うことが地位を受け取ることでもあった

香水を選ぶとき、私たちは「選んで」います。

華やかな印象か、エレガントでいたいのか。
親しみやすさを纏いたいのか、少し高級感が欲しいのか。

現代の香りは、もっとも私的な装いの一つです。
肌に近く、目には見えず、それでも、その人について何かを語る。

香水売り場に並ぶ無数の瓶は、自分が何者であるかを自分で決めるための
選択肢にも見えます。

実は香りの歴史には、もう一つの纏い方がありました。

自分で選ぶのではなく、誰かから授けられる香りです。

宮廷や権力者のもとから香料や薫物を与えられ、それを受け取ることが
功績への褒賞や、特別な関係の証になる。

そこでは装うことが、自分を表現するだけでなく、
与えられた地位を引き受けることでもありました。

自分の香りをつくった人々

もっとも、昔の宮廷人が、ただ決められた香りを身につけていたわけではありません。

平安時代の貴族たちは、沈香や白檀、丁子などの香料を調合し、薫物と呼ばれる練香をつくりました。それを室内で焚き、衣服に移し、自らの周囲に香りの層をつくっていたのです。

『源氏物語』の「梅枝」巻には、明石の姫君の入内を前に、光源氏が薫物合せを催す場面があります。

源氏は古い香木と新しく献上された香木を取りそろえ、六条院の女君たちに配り、それぞれ二種類ずつ薫物を調合するよう依頼します。

香りを比べるための優雅な遊びであると同時に、姫君を宮中へ送り出すための、入念な準備でもありました。

女君たちがつくる香りには、調合した本人の感性だけでなく、どの家に伝わる方法を知っているか、どれほど優れた香料を手に入れられるかという、血筋や教養まで表れます。

源氏が用いたとされる「承和の御いましめ」の調合法も、仁明天皇の時代に結びつく秘伝として描かれています。[1]

香りは、十分に個人的なものでした。

衣に焚きしめられた残り香から、姿を見るより先に、その人の訪れを知る。香りの調合は、筆跡や和歌と同じように、その人の美意識を示すものであり、同時に、受け継いできた文化の深さを示すものでもありました。

宮廷にはすでに、自分の香りをつくる文化がありました。

その隣に、自分では選ばない香りを受け取る文化もあったのです。

宮廷から届いた、二つの薫物

寛永三年、1626年のことです。

米沢藩主の上杉定勝は、後水尾天皇の二条城行幸に関わって上洛していました。同年八月十九日、勅使として訪れた勧修寺経広を通じて、定勝は馬一疋とともに「御薫物両種」を拝戴したと記録されています。[2]

二種類の薫物が、宮廷から授けられたのです。

同じ行幸で諸事を取り仕切った幕府老中の土井利勝についても、『寛政重修諸家譜』には、禁裏から「薫物十合」、中宮からも薫物を賜ったとの記載があります。[3]

それがどのような香りであったのか。
受け取った二人が、実際にどのように用いたのか。

記録は、そこまで細かくは教えてくれません。

しかしながら、これらが単なる日用品でなかったことは想像できます。

同じ薫物を市場で買ったとしても、それは同じ贈り物にはなりません。重要なのは、香りの材料や出来栄えだけではなく、どこから届いたかでした。

宮廷から届いた香りを受け取ることは、自分が宮廷の視線の中に置かれ、働きや存在を認められたことを意味します。

香りを授かるとは、

「自分と権力のあいだに結ばれた関係を、目に見えないかたちで受け取ること」

だったのでしょう。

香りは、見えない名誉の衣だった

衣服が地位を表す文化は、世界各地の宮廷にありました。

オスマン帝国では、スルタンから授けられる「名誉の衣」が、任官、軍事的成功、外交、特別な奉仕などに対する褒賞として使われました。何着与えられるか、どのような布でつくられているか、毛皮の裏地があるかによって、授けられた名誉の程度まで表されたといいます。[4]

受け取った者は、美しい衣を手に入れたのではありません。

その衣によって、誰に仕え、どれほど高く評価され、秩序のどこに位置するのかを示されました。

中世エジプトの宮廷習俗を記した研究には、琥珀や麝香で薫じた名誉の衣が与えられたという記述もあります。[4]

衣だけでなく、香りまで授ける。

そこには、贈り手の権威を、受け手の身体の近くまで運ぶ働きがあったのではないでしょうか。

衣の色や文様は、遠くからでも見えます。
香りは、近づかなければ分かりません。

けれど一度近づけば、それは布よりも曖昧に身体を包み、本人がその場を離れたあとにも残ります。

授けられた香りは、目には見えない名誉の衣だったのかもしれません。

香木を手にする資格

正倉院に伝わる巨大な香木、黄熟香。
雅名を「蘭奢待」といいます。

長さは約156センチ、重さは約11.6キロ。足利義政、織田信長、明治天皇が、その一部を切り取らせたことで知られ、現在も切り取った場所を示す紙札が残されています。[5]

蘭奢待は、店で価格を比べて購入するものではありませんでした。

それを見られること。
宝庫を開かせること。
一片を切り取らせること。

そのすべてに、権力と許可が必要でした。

ここでは、香木そのものの価値と、それを手にする資格とを分けて考えることができません。

蘭奢待の一片を持つ者は、ただ優れた香りを所有するのではない。その香りを得ることのできる位置に、自分がいると示すことになります。

香りが地位を証明するのではなく、香りに触れることを許された事実が、地位を語っていたのです。

自分を表す香り、関係を表す香り

自ら薫物を調合する平安貴族と、宮廷から薫物を授けられた近世の武家。

一方は、自分の感性や教養を表す香りです。
もう一方は、誰に認められ、どのような関係の中にいるかを表す香りです。

この二つは、正反対のものではありません。

宮廷に生きる人は、自分らしい香りを持ちながら、別の場面では授けられた香りを受け取ったはずです。

自分でつくる香りは、「私はこのような人間である」と語ります。

授けられた香りは、「私はこの人に見いだされ、この位置を与えられた」と語ります。

香りは、個性の表現であると同時に、関係の表現でもあったのです。

なお、史料から確認できるのは、香料や薫物の贈答、秘伝の継承、希少な香木への接近などです。「この位階にはこの香り」というように、身分ごとに香りが一律に割り当てられた制度が存在したとまでは、現在確認できる資料からは言いにくいでしょう。

そもそも香りは形を残しません。平安期の薫物についても同時代の資料は限られ、後世の伝書から遡って説明されてきた部分が多いことが、研究上の課題として指摘されています。[6]

だからこそ、残されたわずかな記録は興味深いのです。

香りそのものは消えても、誰が誰に授けたかという関係は、文字の中に残りました。

選ぶ自由の外側から

私たちは、選べることを豊かさだと考えます。

自分に似合う服を選び、自分の好きな香りを選び、自分の見せ方を自分で決める。それは確かに、現代の大切な自由です。

けれど、装いにはもう一つの側面があります。

人から贈られたものを身につけること。
役割とともに与えられたものを纏うこと。
自分が属する場所の印を引き受けること。

それらは、必ずしも自由の欠如ではありません。

贈り物を身につけるとき、私たちは、物だけでなく、その人との関係を纏っています。
香水を贈られたとき、香りの意味が、瓶の中身だけでは決まらないことを、現代の私たちも知っています。

誰が選んだのか。
なぜ、自分に贈ったのか。
その香りを身につけて、どこへ行くのか。

授けられた香りの歴史は、装うことを、自分一人の表現から少し外へ連れ出します。

香りは、私が何を選んだかを語るだけではない。

私が誰に見いだされ、何を受け取り、どのような関係を引き受けたのかを語ることもある。

宮廷では、香りを纏うことが、地位を受け取ることでもありました。

そしてその名誉は、冠や衣のように目に見えるのではなく、近づいた者にだけ分かる気配として、その人の周囲に漂っていたのです。


参考文献・資料

[1] 武居辰幸「『源氏物語』梅枝巻における香りの表象―薫物合せの意義―」『青山語文』第53号。明石の姫君の入内準備としての薫物合せ、香木の配布、調合法の系譜について論じている。(青山学院大学OPAC)

[2] 日下幸男「羽前米沢藩上杉定勝の文事」『國文學論叢』第60輯。寛永三年八月十九日に、勅使を通じて上杉定勝が「御薫物両種」を拝戴したとの年譜を収録。(龍谷大学 OPAC)

[3] 『寛政重修諸家譜』土井利勝の項。寛永三年の二条城行幸に際し、禁裏から薫物十合、中宮からも薫物を賜ったとする記載。(名刀情報)

[4] Smithsonian National Museum of Asian Art, “Style and Status: Imperial Costumes from Ottoman Turkey.” オスマン帝国における名誉の衣の授与、布地や枚数による地位の表示について。Stanley Lane-Poole, The Art of the Saracens in Egypt には、琥珀と麝香で薫じた名誉の衣についての記述がある。(スミソニアンアジア美術館)

[5] 宮内庁正倉院事務所「黄熟香」。蘭奢待の寸法、産地推定、足利義政・織田信長・明治天皇による切り取りについて。(正倉院)

[6] 吉海直人「『源氏物語』の『薫り』―平安時代の『練香』の基礎知識」『同志社女子大学大学院文学研究科紀要』第22号、2022年。平安期の練香に関する同時代資料の少なさと、後世の資料による説明の問題を指摘している。(CiNii)

Comment

There are no comment yet.

RELATED

PAGE TOP